「ケアラー支援基本法(仮称)」という「土台」を、この国にも~なぜ、いま法律が必要なのでしょう~(前編)

家族の誰かをケアする

介護、看護、育児、そして障がいや病気、依存症を抱える家族への支え・・・

その形はさまざまですが、多くのケアラーに共通しているのは「自分の生活や人生を後回しにしがちである」ということです。

ケアはかつては「家族が担って当たり前」とされてきた営みですが、少子化や核家族化、女性の社会進出、雇用形態の変化、地域のつながりの希薄化によって、ケアを取り巻く環境は大きく変わってきました。

それでも、ケアに関する制度やサービスの多くは、いまだに「家族が担うもの」という前提のうえに組み立てられていることが多いです。

このズレこそが、ケアラーの人生に静かに、しかし確実に影響を及ぼしているのではないかと感じています。

「家族が担うもの」という前提のままでいいのでしょうか

現在の日本の法制度は、「ケアが必要な当事者(本人)」を支えるための体系が中心です。

ケアの現場では、ケアラーは「(ケアが必要な)◯◯さんのご主人」とか、「(障がいをもつ子どもさん)〇〇ちゃんのお母さん」というように、あくまでその家族の中における役割・担い手として認識されがちです。

ケアラー自身の状況や人生に光が当たることは、まだ多くありません。

一般社団法人日本ケアラー連盟の調査研究等によれば、ケアラーはケアを担うことにより、心身の健康や生活、家族関係、就労や就学、経済面、社会的孤立など、さまざまな困難に直面していることがわかってきています。

つまり、ケアという営みは、誰もが担い手にも受け手にもなり得る、社会に欠かせないものです。

だからこそ、ケアを必要とする人と同じくらい、ケアラー自身の幸福(ウェルビーイング)も大切にされるべきだと、私は考えています。

SOSを出しにくいケアラーだからこそ、法律という土台を

私自身、社会福祉士として相談支援の現場に立つなかで、「自分はケアラーだ」という自覚のないまま、限界近くまでケアの状況を一人で抱え込んでこられた方に何度もお会いしてきました。

ケアラーは、社会的な責任感や家族への情、周囲からの視線などから、「自分が守らなくては」「自分にしかできない」と思い込んでしまいやすい。

そのため、ケアラー自身のSOSそのものを出しにくいという特徴があります。

この構造がある限り、ご本人からの訴えを待っているだけではケアラーに対する支援は十分に届かないでしょう。

ケアラーという存在を社会的にきちんと認識し、支援の対象として明確に位置づけていくこと。

そして、それを個人の努力や家族内の事情に留めず、社会全体で支える仕組みへと変えていくこと。

私は、その土台となるのが「法律」という枠組みではないかと感じています。

もちろん、「家族への支援」や「養護者支援」という形で、これまでも一定の取り組みは進められてきました。

ただ、その多くは「家族」「養護者」というケアの役割に対する支援にとどまっており、ケアラーを「一人の人生の主体」として、総合的・包括的に支えるものにはなりきれていないというのが実情です。

「法律がないから仕方ない」で終わらせないために

制度がまだ整わない中でも、現場から声をあげ、実際にかたちにしていく動きは、日本各地で少しずつ生まれています。

だからこそ、「法律がないから仕方ない」で終わらせず、なぜ法律という土台が必要なのか、私たち専門職側からも考え続けていきたいと思います。

次回の「後編」では、一般社団法人日本ケアラー連盟発行(2026年3月初版)の「支える人を支えたい‐ケアラー支援のための政策提言」を参考に、具体的にどのような政策の柱が描かれているのかをご紹介したいと思います。

参考資料:
一般社団法人日本ケアラー連盟発行「支える人を支えたい‐ケアラー支援のための政策提言」