
ケアラーって、誰のこと?
最近、「ケアラー」という言葉をメディア等で見聞きすることが増えているかと思います。
「ケアラー」とは、いわゆる「家族介護者」のことです。
日常生活にお手伝いが必要な家族やその他大切な人の介護や看護、日常のお世話をしている人のことを最近ではそう呼ばれています。
同じくケアラーを指す言葉で「ヤングケアラー(こどもケアラー)」があります。
最近特に耳にするかと思いますが、「ヤングケアラー(こどもケアラー)」は、一般的にケアラーの中でも18歳未満の未成年者がそう呼ばれています。
また、18歳~概ね30代までのケアラーのことを、「若者ケアラー」と呼ぶことも増えてきているように感じます。
呼び方や表現(表記)は、各自治体でも多少違いはあるようです。
ちなみに、ときどき勘違いされますが、介護福祉士やヘルパーなどの介護を職業とする専門職のことではありません。
「えっ?私、ケアラーなんですか?」~いつの間にかケアラーの誕生~
ここでお尋ねします。
みなさんは、「ケアラー」がどうやって、何をきっかけに誕生すると思いますか?
家族等の病気や障がいなど生活の中で起こる状況の変化をきっかけに、ケアラーが誕生する。
おそらくケアラーに関する多くのケースで、そのような家族や大切な人の病気や障がいという「きっかけ」はありがちかも知れません。
状況として考えれば、確かにその答えもまんざら間違いではないと思います。
しかし、本当にそれだけが「ケアラーの誕生」の理由でしょうか。
私はケアラー支援活動の中で、いろいろなケアラーたちの声を聴く機会があります。
彼らがよく話しているのは、
「なんか気づいたら・・・いつの間にか、自分が主たる介護者になってたんだよね。」
みなさんは、この言葉の意味がわかりますか?
その流れが「いつの間にかケアラー」つくってますよ
例えば医療機関で、退院前にカンファレンスが行われます。
患者さん(要介護者)であるご本人がいます。
退院後の在宅生活に何らかの支援が必要であれば、おそらく必ず家族もその場に呼ばれることが多いかと思います。
決まっていれば、担当のケアマネジャーさんなど、今後支援をマネジメントする人も呼ばれていることもあるかも知れません。
また、その以前に下調べはされており(笑)、医療機関側は「誰がこの患者さんのキーパーソン(主たる連絡先や介護者)になるか」を確認されているはずです。
まあ、ここまでは「家族(親族)」ということで、実際には多くの方がグッと飲み込んでいることかとお察しします。
本人の病気や障がいについて、容体を知りたいとも思うかも知れません。
しかし、ここからです。
話し合いの中で、ご本人の退院後の生活や介護など支援内容を詰めていく際に、支援者さんらから「ご本人のための支援プラン」を実行し進めていく「ツール」として、その呼ばれた家族ないし同居家族はすでに「役割分担」され「配置」されている。
要介護者であるご本人に対するひとつの一番身近な「社会資源」として、位置づけられている。
それは、なぜか往々にして家族自身の考えや想い、心の準備とは関係なく「当然」のように。
医療・福祉現場のケアラー支援
「介護」にはじめて直面した家族であれば、おそらく何も準備などしてこなかったというのが現状だと思います。
一般的に、まだまだ家族の介護や生活の変化に、そうなる前から備えたり考えたりしている方はなかなか少ないと思います。
もちろんそれもまた大事な課題なのですが、まだまだそれが現状です。
しかし、とは言え、だからこそ何も考えきれない、自身の身に起きたこととして冷静に検討も出来ない状態にある家族が、そんな一方的な展開を示されたら・・・
家族は、「そうしなければならないものだ。」とか「そうするしかないのだろう。」と、どこか不本意ながらも受け止めざるを得ない心理になりがちです。
こうして一人、今日も「いつの間にかケアラー」が誕生します。
考えてみてください。
先の例えは、家族が「大人」であった場合のイメージです。
しかし、これがもし子どもだったら。
病院の職員さんや福祉の支援者さんらから、
「お薬がちゃんと飲めているか、見ててあげてね。大事なお薬だから。きちんと飲まないとまた具合が悪くなっちゃうの。」
なんて言われようものならば、その子は学校から走って帰ってくると思いませんか。
心配になって、そばから離れられないと自身を追い詰めないかとは思いませんか。
こうして「ヤングケアラー」が誕生するのです。
大人の家族だって、差し迫るものに自分の気持ちや考えを言いづらくなるぐらいの状況です。
気づいたら、いつの間にかケアラーになってしまう人が多いのです。
子どもだったら、なおさらだと私は思います。
小さな彼らが、家族以外の大人に言われる「責任」は、きっと大人が想像する以上に重いものではないかと思います。
ケアラー支援は、なにも難しく考え込むことばかりもでもありません。
実はもっと身近なところから取り組み始めることが出来るのかも知れません。
医療や福祉の現場で、少しでもその「意識」が広がっていくことを願います。