ポストケアラー支援を想う②~ケアラーのその後~

生活は変わっても・・・

要介護者を看取り、あれこれ死後の諸手続きや仏事などお見送りの諸行事を終えると、改めて生活は幾分変わっていきます。

それまでが在宅介護であれ、施設や医療機関での介護(看護)であれ、または要介護者とは別居の通い介護であったとしても、今までいたその人がそこからいなくなっている訳ですから、生活自体が何も変わらないことはないでしょう。

時間の使い方やある種のお金の使い方は、だいぶ変わると思います。

ただ、だからと言って、ケアラーにとって、これまでが何もなかったかのように、生活が一変するわけでもありません。

たびたび同じことを申し上げますが、大事な捉え方だと思いますので何度もお伝えします。

ケアラーにとって介護は「生活」だからです。

生活している以上、これまでの生活の中に「介護」があった事実はずっと繋がっています。

心が追い付かないことは、そんなにいけませんか?

私のケアラー仲間は、ずっとお亡くなりになったご家族の品物をお片付け、いわゆる処分することがなかなか出来ずにいます。

片付ける手段や方法がわからないからではありません。

生活の中のその場所に、以前のように、亡くなったその人の面影を感じる品物があることに、その品物がなくなることに、心の整理がつかないからです。

そして、時間が経てばたつほど、その「心の整理がつかない」ということに悩み始めています。

私は、そんな仲間を見ていて苦しくなります。

誰の、何のために、「心の整理」をそんなに急ぐ必要があるのでしょう。

これまでの家族介護はなんだったの?

また、要介護者が亡くなったあと、シングルケアラーによくありがちな場面があります。

周囲の方から、「これで、あなたの生活ができるね。」と声をかけられることです。

まあね・・・

言わんとすることは、わからないでもないです(苦笑)

「シングル介護」という背負っていた肩の荷が下りたとか、なんとか、・・・たぶん、別に悪気もなくそんな声をかけられます。

う~ん・・・でも、何と言いますか・・・。

これはおそらくシングル介護に限らず家族介護全般に言えることだと私は思いますが、家族介護は、何もそういう物理的な、目に見えてわかりやすいことだけで成り立っているわけではないのです。

個人差は大いにあるかも知れませんが、私が先のような言葉をかけられたら、なんとなく、要介護者が亡くなるこれまでの家族介護者人生が、まるで否定されるにあたるような、「負」のもののように感じられます。

ただ、自分の人生を、家族の人生を、我が家の生活を、私たちは過ごしてきただけなのに。

介護は心の中で繋がっている

ケアラーにとって「介護」は、それを仕事にされている方々の「介護」とは違います。

しつこいようですが生活の一部であり、人生のこれまでと今、これからに繋がっているものです。

利用者さんがお亡くなりになって、対応していたその仕事が1件なくなることとは違うのです。

施設や病院のベッドに一つ空きが出ることとは違うのです。

ビジネスではありません。

生活です。

ケアラーそれぞれに向き合い方があり、心の持ちようがあり、時間の経過があります。

そして、何より大事なことは、ずっと繋がっているということです。

ケアラーの心の中で、介護は終わらないのです。

悩めるケアラー仲間には、「もし片付けたいと思うなら、いつかそう出来ればいいんじゃない。そのうちに、心が本当にそう思えたときに。あなたのタイミングで。」と、答えるようにしています。

たぶん・・・・ですが、必要なお片付けは概ねそのうち出来るのです。

ただ、今は、取り掛かるのにまだ時間が必要なだけです。

それでも、別にいいじゃないですか。