
家族介護者になったころ
私には、介護を必要とする家族がいます。
家族が病気の診断を受けたのは、私が30歳のころです。
本人は50代後半でした。
もっと正確に言えば、病気の診断を受ける2~3年前にはおそらく発症しています。
なので、実際には、本人が50代半ば、そして私が27~8歳のころです。
徐々に進行する病気ですので、当時は「介護」という感じでもなかったですけど・・・
私は、医療者でこそありませんが、
仕事がら、特に高齢者福祉を専門に仕事をしておりましたので、
若干、病気に関する知識もありました。
病名を聞いたとき、
ただ漠然と、
「あぁ・・・65歳まで生きないな。」と、ぼんやり思ったのを覚えています。
暗黒時代をのりこえて・・・
とは言え、人の生命力ってすごいですね。
比較的短命であると言われているその病気の本人も
その後、何回か生きるか死ぬかの境目をうろうろしましたが、
昨日、72歳の誕生日を迎えました。
何度も苦しい、しんどい状態になりながら頑張ってくれた本人、
そして、まわりの支援者さんのおかげです。
本当に、心から感謝しております。
一人で、無理やりに、なんでもかんでも抱え込んで、
泣いてるか、怒ってるか、
はたまた、だんまりを決め込んで、
周りの人間は敵にしか見えなかった暗黒の30代・・・
家族介護者歴十数年となった今、
懐かしくもあり、
ときどきは、あの頃の自分が少しだけ愛おしくもあります。
家族介護者の想い
あの暗黒時代があって、そして今がある。
あの頃があったから出会えた人もいて、できるようになったこともある。
そして、わかるような・・・わかりたいと思う感情も。
たぶん、中でも一番大きいのは、「家族介護者」である人の想いを考えるようになったことではないかと自分では感じています。
完ぺきに、あなたの想いをそっくりそのまま理解しているとは、さすがに言い難いですが・・・少なくとも、何某の感情を抱えて、頑張っておられることに寄り添いたいと思っています。
それまでも仕事として、家族介護者さんとの関わりももちろんありましたが、深く察することはたぶん出来ていなかったかも知れないです。
家族介護の経験をもって・・・と言えば、そのあたりが自分の中でも変わったところかも知れません。
「言えない」には理由がある
私は、家族介護者さんの想いを考えたり寄り添いたいと思う上で、とてもデリケートな部分だと意識していることがあります。
それは、「言えない気持ち」です。
言っていいし、言う権利あるし、本人に代わって伝えなきゃいけないし、伝えてあげたい想いは重々あるのですが、・・・言えない。
それは、もちろん、家族介護者さん一人ひとりの元来の性分であるとか、
今が介護の「どの段階」にあるかなどタイミング的なことであったり、
「そんなこと言うな。」とか「言わないで。」と誰かに止められていたりだとか、
理由はそれぞれだとは思いますけども。
そして、「言いなさいよ!」とか「言っていいんだから!」とか「あなたがはっきり言わなくてどうするの!」とか、そういう第三者からのアドバイスや喝っ!(笑)みたいなことから感じる重圧とか・・・
社会福祉士を名乗って仕事をしている者として、
言語化して説明できないのはいかがなものかと自分でも思いますが・・・
私、家族介護者さんの心の声みたいなものが、
「感覚的」にわかる・・・ときがあります。
たぶん、自分自身のそれと近しい頃に重なるからです。
「言えない気持ち」・・・
たぶん、正しくは「今は、言えない気持ち」「どう、言っていいかわからない気持ち」を
家族介護者さんのそんな「今」を傷つけないように、
どうにか代弁していけたらなと、考える日々です。
言えない・・・ということが、
なにも、その家族介護者さんが、想いを声にして伝える、発信する必要性を理解していないことではないと思うのです。
ものごとには、それに至る背景が必ずあります。
だから、
まずは、家族介護者さんの言えない気持ちの背景を受け止めたい。
微力ながら、ここ数年ケアラー支援に自分なりに携わる中で、
ベースとして大切に思うところです。