障がいがある成人した子への「親の扶養義務」と、子の「経済的自立」について考える~その①~

家族間にも必要?「経済的自立」

夫婦、親子、きょうだいなど、家族間には「扶養義務」があります。

しかし、特に「親子」の場合、子が「成人している年齢」であれば、それはどうでしょうか。

子が健康であろうと、たとえ病気や障がいがあろうと、子自身の「経済的自立」は子をあくまで「ひとりの社会人」として捉え検討していくのが現代の「親子間のお金事情」ではないかと考えます。

もちろん、一緒に暮らし生計を共にしている場合など、各家族や世帯で「生計」についての考え方もあるでしょうから、そこはまた論点が違う話です。

どういう「手段」で経済的に自立するか

もしかしたら「なんらかの理由があって働けない」このような事情もあるかも知れません。

そうであれば、例えば病気等の場合は障がい年金の受給、ほか何らかの理由であれば生活保護受給の相談が検討されるなど・・・

少なくとも、家族の誰かが無理をしてまで、自身の生活もままならない状況を抱えながら、ほかの成人した家族を扶養することは、本当にそれがお互いにとって健全なのか疑問に感じます。

経済的自立は、なにも「一人の社会人として働く、自分で稼ぐ」ことに限りません。

なんらかの「真っ当な」方法で自分の生活費を得て、自身で生計を立てること、それもまた経済的自立ではありませんか。

「親の価値観」の根底にあるもの

しかし、障がいがある子を持つ親、特に現在80代~90代ぐらいの高齢の親は、親自身に「子の経済的自立」への認識があまり感じられない場合が多い印象があります。

親も自分自身にケアを受ける状況を抱えて、いよいよどうしようもなくなって、親子ともどもご相談を受けることもしばしばあります。

いろんな視点から、親にも、子にも、厳しい状況も少なくありません。

しかしながら、この点においては、私はすべてが「親の考え方のせい」だとは思えません。

多くの場合、この現在80代~90代の親たちが、数十年間、なかなか進まない障がい福祉諸制度の未整備も含め、障がいのあるわが子に対する「終わらない子育て」を、「親である」という理由だけで強いられてきた社会的背景は否めないからです。

社会に、我が国の障がい福祉に、そのような考え方を「親として」求められてきたともいえるのではないかと感じています。

最近の若い世代の親の価値観とは、また違った背景があるように思うのです。

我々、福祉の支援者らは、障がいのある子がいるご高齢の親たちに対し、もしかしたら上記のような社会的背景が今もなお親たちを苦しめているかもしれない意識をもって、支援に取り組んでいく責任があるのかも知れません。

~その①~ おわり  次号につづきます。