
実際にケアを担っていた頃の自分自身の日常
私は、15年間の介護生活の末、父を見送りました。
その一年後に、母方の祖母も見送りました。
今年のはじめに父の一周忌、夏に祖母の初盆が終わりました。
実質的な二人のケアを終えて、最近ようやくケアしていた当時を改めて振り返ることが増えています。
当時は、生活の中心を仕事や自分がやりたい活動を基盤とした自分自身に置きたいと思いつつ、しかし現実ではなかなかそうもいかず、結局は「二人のケア」に主軸が置かれた生活リズムだったように思います。
頭の中で、心の中で、ひとときも父や祖母のことが離れる時間はたぶんありませんでした。
「仕事と介護の両立」や「介護離職」に対し課題意識を持ち、社会に発信したいと思いつつ、当時、自分自身が実際にそれらをカンペキに意識した動きが出来ていたかと言えば、実はそうでもありません。
恥ずかしながら、それが私の実情でした。
要介護者も大切だけど・・・
しかし、おそらく多くのケアラーさんが、在宅でのケア、施設や病院に依頼するケア、どちらを選択されていたとしても、ご自身がケアラーでいる以上、生活の中から「ケア」のことが頭から離れることはそうそうないのではないかとも思います。
介護は「生活」です。
「生活」の中にあることですから、それもまた当然なのかも知れません。
ただ、今、改めて自分自身のケアラー生活を振り返り、一日のうちにほんのわずかな時間でも、ケアラーの頭の中から、心の中から、「ケア」を忘れられる時間があれば、どれだけケアラーの心身の平穏が保てるだろうか・・・と、思う。
もちろん、ケアしている要介護者のことを否定するつもりはありません。
誰のせいとか、誰が悪いとか、そういうことでもない。
おそらく誰しも、家庭生活や社会生活の中におけるなんらかの役割やポジションがあって、「ケアラーであること」もその一つかと思います。
しかしそれ以前に、ケアラーが「自分自身であること」、そして、それがきちんと認められることも大事だと思うのです。
自分のこころの声を丁寧に聴いてみましょう
ケアラーという役割を離れあなたが「自分自身」でいられる時間ができたら・・・
あなたは何がしたいですか?
読書や映画など趣味に没頭する。
朝寝坊する。
おしゃれをして外食に出かける。
カフェでゆっくりお茶を飲みながらぼんやりする。
携帯電話の電源をオフにするのもいいかも知れませんね(個人的にはこれが出来たら最高の気分です!が、気が小さくてなかなかできません・・・笑)
自分のための「自分時間」に何がしたいか・・・考えるだけでもワクワクする。
でも、日々のケアに追われ、ケアラーというポジションに追いつめられると、そんな想像すらできなくなるのも多くのケアラーの現状でもあります。
もしかしたら、こういう希望を持っていいとも思えなくなるのかも知れません。
本気で!ケアラー支援の視点で考える「レスパイトケア」を。
「レスパイト・ケア」
いわゆるケアラーが「ケアから離れる」時間を持てるよう支援すること。
この考え方は、最近ではそうめずらしくありませんし、ケアマネジメントの中でも大切な視点になっていると思います。
よく聞かれるのがショートステイの利用など、要介護者自身の一時的なお泊り支援ですね。
父や祖母も、在宅介護の当時このサービスをときどき利用してきました。
しかし、我が家では、この父と祖母のケアにおけるショートステイ利用に大きな違いがあります。
父のショートステイ利用については、その当時、やむを得ず私や母に父のケアを担えない状況があるときに利用してきました。
しかし、祖母のケアの頃は、私も母も「ゆっくりしたい」「各々自分の時間が持ちたい」というそんな理由で堂々と(笑)ショートステイを利用してきました。
本当にお勧めしたい利用の仕方は、もちろん後者の方です。
本気で!「ケアラーである時間を離れ休息する」ことを考えるならば、ケアマネジャーさんなど支援者らも、そしてケアラー自身も、その利用の仕方を肯定し効果のほどを想い、双方で取り組む必要があるでしょう。
「うしろめたさ」は、ケアラーにとってかえってストレスです。
どちらか一方の想いであっても、結果、あまり効果的ではないと思います。
「うしろめたさ」を支援者らはケアラーにいかに感じさせないか、ケアラー自身は感じないように切り替えるかが重要。
最後に・・・
では、ショートステイに出かける要介護者本人に対してはどう説明するのか?
わが家の場合ですが、父や祖母に対して「あなたも家族なんだから、協力してちょうだい。」と言ってましたね。
ケアは、ケアラーだけが抱えることではありませんから。