
「長崎県ケアラー支援条例」が動き出しました
令和5年4月1日、いよいよ「長崎県ケアラー支援条例」が施行されました。
昨年秋の県議会にて議員提案され、可決成立。
(冷静に振り返ると、これもまたすばらしいことですよね。県議を県民の代表と考えたら、行政側からではなく県民側から出されたことですから・・・)
その前の準備期間を含めると、ここにたどり着くまでに数年かかっています。
長崎県のケアラー支援。
ケアラー支援条例の可決成立をスタートラインだとすると、条例施行はいよいよ動き出したと言えると思います。
社会課題を多角的に捉えることは大事
たいへんありがたいことに、この度、私も「長崎県ケアラー支援に関する有識者会議」の委員に就任することができました。
県庁担当課のみなさま、背中を押してくださったみなさま、本当にありがとうございます。
微力ながら自分なりに、ケアラー支援に携わり早11年目。
ここにきて、このような会議に参加することができ、身の引き締まる思いです。
早速、先日最初の会議が開催され出席して参りました。
先に書いたブログにも記しましたが、長崎県は「長崎県ケアラー支援条例」の中で「全世代型支援」を表明しています。
当然のことながら、有識者会議も各専門家、各分野のみなさんが委員として召集されています。
こども、高齢者、障がい者(児)、労働関係、地域福祉、教育・・・
何にしろそうですが、社会課題を多角的に捉えることはとても重要です。
普段はそれぞれが何某の専門性や分野に特化していても、それぞれの視点がそこ集まることに意義があると思います。
当然のことながら、ケアラー支援についてもそれは同じなのです。
ヤングケアラー(支援)の報道に惑わされていないか
ここで、改めてヤングケアラー(支援)について振り返りたいと思います。
ヤングケアラー(支援)の話題がメディア等でもたびたび取り上げられる昨今。
もちろん子どもたちを守ることは、民主主義の国として当然です。
しかし、ここ数年、なぜこんなにもヤングケアラーに関する動きが活発かと言うと、それはヤングケアラーに対して国が「予算」を付けているから。
国がその対策のために予算を付ければ、何某専門家らは召集され施策が動き出すのも当然です。
そして、特に新しいことが動けばメディアは注目したびたび報道されます。
もちろん、その背景には予算が付けられるだけの現状(社会課題)もあるわけですが、動きがさも活発な印象に映る背景は、実はこのようにわりとシンプルです。
逆に言えば、だからこそ、ことが動き出すために予算を付けて欲しいし、そのためには条例化や法令化を進めたいわけです。
なぜ、今、ここにきて改めてこのことを振り返るのかと言えば、このヤングケアラー(支援)に対して国の予算が付いていること、そしてその報道が、世間の「ケアラー支援」=「ヤングケアラー支援」という印象をより強くしていることが否めないから。
表面的な印象には、「課題の根本を忘れさせる強い力がある」と最近特に感じるからです。
ケアラー当事者にとって、ケア(介護)に区切りはない。
専門家らにとっては、その専門性から、ケアラーやその抱える課題には区切りがあるように見えるかも知れません。
こども、高齢者、認知症、障がい、障がい児の子育て、仕事と介護・・・
それぞれの専門的な見地から、その専門的な部分に注目しがちかも知れません。
しかし、ケアラーにとって、ケア(介護)は生活の中にありあくまでただの日常です。
もっと広く言えば、自分自身や家族のこれまでや今であり、この先の生活や人生に繋がっています。
決して部分的に特化されたことではありません。
ずっと、自分の中にケアラーであることやケアラーであったことは続いていくのです。
長崎県同様、今後、ケアラー支援やその対策が進められていく中で、いろいろなケアラーに関する専門家が集まるだろうと思います。
当然のことながら、課題にはその時々の優先順位があり、予算にも限りがあるでしょう。
しかし、必ず頭の片隅置いておいて頂きたいのは、どの世代のケアラーにもケアラーであることに終わりはなく、ずっと生活や人生の中でつながっているということ。
専門家が捉えがちな「区切り」なんて、当事者らにはないということです。
今後、体制整備が進められていく中で、いかなる場面においても必ず「全世代型支援」を踏まえた捉え方や動きであって欲しいと思います。