
「自分時間」が作れなかったこれまで
あなたは「自分時間」を大切にしていますか?
ここでいう自分時間とは、仕事以外のいわゆる「自分のためだけの時間」です。
趣味のなにかでも、なにもしない休息でも、自分がカラダだけではなくココロもゆっくりくつろげる、楽しめる時間のことです。
とは言え、私、この「自分時間」を持てるようになったのはここ最近のはなし。
「自分時間」を作ることも、過ごすことも、実は苦手な頃がありました。
介護または仕事、介護、仕事・・・
介護生活真っただ中のころ、特に在宅で介護していたころは、何にしろケア中心になることが多かったなと振り返ります。
日常生活の主軸はケア。
ケアが中心にあって、そこから自分自身のことを「ケアの空き時間」にどうにか入れ込んでいくようなイメージです。
それは仕事も同様。
仕事にはどうしても時間を割きますから、そうなるとカラダやココロを休めるゆっくりした時間なんてそうそうなかった。
仕事とケアの行ったり来たりの毎日だったと記憶しています。
仕事や専門職としての学びのための時間を必死に作っていて、いつもココロにも余裕がありませんでした。
一日の「時間」に対する考え方
父を看取り、祖母を看取り、父の遺した愛犬を看取り、いわゆるポストケアラーになりました。
そして、社会福祉士という職種こそ変わってはいませんが、独立起業した今。
時間の使い方も、以前より大きく変化しています。
時間の使い方というよりも、おそらく時間に対する考え方が変わったのかも知れません。
以前よりも、仕事のための時間と家事など日々の生活のための時間、そして、そのどちらでもない「自分のためだけの時間」をハッキリ切り分けることをかなり強く意識して過ごすことが増えてきました。
もちろん、自営業で、仕事と日常の家事が物理的には近い距離にあるので、一日の中でその二つを行ったり来たりしていることはありはします。
それでも一旦仕事時間に入るとき、逆に家事をしているときに、その集中力には気を付けています。
その点は、ひと頃の、今集中したいことがあるのに、何か別のことが気になってモヤモヤしている切り替えきれない頃とはだいぶ違いますね。
そう考えると、現役バリバリのケアラーだったころも、あらゆる方法を駆使して、仕事にも、自分自身のためだけの時間にも、もっと全力で集中して私らしく過ごせることを意識できていればよかったなと思います。
今の方が「効率」も良く充実している?
必死にケアをして、必死に働き、必死に勉強する時間を絞り出して、遊びにいくような時間はそうそうなかった頃・・・
「とにかく、今は頑張るしかない。」「人生には、無理をしなきゃいけないときだってある。」と、自分に言い聞かせていたあの頃。
走り続けていたあの頃。
止まってはいけないと思っていたあの頃。
自分の人生なのに、自分が過ごしてきた日々なのに、当時、何が楽しかったのかほとんど思い出せない。
当時の私を知る人に、あるとき、「あの頃と今と、まるで別人のように顔が違う。」と言われたことがあります。
最近になってようやく、確かにそうだろうなあと自分でもその言葉が理解できます。
今の私は、当時よりも家族のために使う時間は少ないし、実は、仕事している時間も少ないのです。
家族のことを考えない、仕事のことも考えない、自分の「楽しみ」のことしか考えてない時間が、とても増えている。
もちろん、仕事はしていますし、家族とも縁を切った生活になっているわけでもありません。
実際に、一緒に年齢を重ねていく母がおりますので、介護とまでは言わずともそれなりのサポートは以前よりも必要です。
専門職として学ぶこともやめてはいません。(専門職を名のる以上、自己研鑽は必要です。)
おそらくは、どの時間に対してもすべてにおいて「集中力」と「割り切り方」があがっているのだと思います。
集中して働き、集中して家族を想い、家事をして、そして自分のために遊ぶ。
いろいろな面で「効率」もあがっていることに最近気づきました。
もっと早くこのスキルを身に着けていたら、ケアも仕事との両立も、そしてケアラー生活の中での自分時間も、もっと違っていたのかもしれません。