
「代わり」は重荷だった
私には、要介護状態の家族がいます。
ここ数年、要介護認定でいうと一番重度の「要介護5」です。
そして、私はこの家族の「親族後見人」です。
要介護者の本人は、判断能力に支障があります。
実は、私、専門職後見よりも、こちらの「親族後見」の方がキャリアは長いです。
このパターンは、たぶんめずらしいかと思います。
どちらかと言えばたまたまそういう仕事をしていて、家族に成年後見制度が必要になった者が出てきて、「じゃあ、業務内容をわかっている自分がついでにやろうか・・・。」みたいなケースが多いのではないでしょうか。
そもそも、社会福祉士という資格を持っているから、誰しも成年後見制度のことを熟知しているかと言えば、事実そうでもありません。
私も親族後見の受任当初はそのタイプでした。
なので、今現在はたまたまこのような仕事(専門職後見人)をしておりますが、それもって家庭裁判所の方にご指導ご鞭撻頂きながら四苦八苦やってきた叩き上げタイプです(笑)
そして、この親族後見には、様々なご意見や家族としての気持ちが世間にはあるようですね。
正直に言えば、あまり評判が良いことばかりではありません。(それはなぜか、・・・という内容は、このブログに時々出てきてましたので今回は割愛します。)
世間の評判はともかく、少なからず私の家族は、この成年後見制度を本人が利用することで「良かった」という気持ちでいてくれているようです。(ありがとう。)
実際に受任している私はと言えば、もちろん良かったし、介護者として気が楽になったこともあります。
なぜなら、家族介護者であり、自分自身もその家族を構成するひとりなのに、さらに本人の「代わり」をすることは、精神的にとても重荷だったからです。
本人の代わりに決断すること
人は、日常の中で様々な選択や決断をして生活しています。
その必要性は病気や障がいがあっても同じです。
本人がその病気や障がいが故に、何かの選択や決断がご自分では難しければ・・・
たぶん、多くの場合、家族介護者がその代理を行っているのが一般的ではないでしょうか。
もしくは、第三者である支援者が。
我が家の場合も変わらずそうで、私自身が後見人になる前は、本人の代わりに家族でまたは私が家族という立場から決めていました。
判断する内容にもよりますが、ときにその「代わりに決断する」という行為そのものが、私はとても負担で、ストレスで、苦しくてたまりませんでした。
決断には往々にして、その結果メリット、デメリット、良し悪しがあるものです。
どんなに本人のことを思っても、周囲にそうすることのデメリットを攻められることも少なからずありましたし、今思えば、あくまで家族でしかないので、私自身もおそらく「家族である私」の立場から考えている感覚が大きかったのではないかと思います。
「本人にとって」という感覚よりも、「家族にとって」とか「介護者である私にとって」などの感覚がおそらく勝っていました。
だから、周囲にその結論を攻められても、感情で返すような負のスパイラルに陥りやすかったように思います。
ただただ、「毎日の介護もして、家のこともして、仕事まで辞めて(←一時期介護離職していたので)、な~んにもしない、口だけしか出さない者になんで文句言われんといけんのだ!」と、いつもイライラしていました。
悔しくて、はがゆくて、自分自身が情けなくもあって。
要は、「本人の代理」で決断しているにもかかわらず、「本人主体(本人が主役、本人のため)」という全うな根拠が返答ができていなかったわけです。
これまでの十数年の介護者生活を振り返る中で、この「本人の代わりに何かを決断する」という行為は、おそらく世の中の家族介護者の多くにとって精神的な負担になっているのではないかと経験上思います。
成年後見人の実務
そんな思いでずっとモヤモヤした介護者生活を送ってきたもので、改めて「家族の一員」である自分の他に、家族ではあるけども「後見人」である自分の立場ができたことで、私は精神的に幾分救われました。
そうは言っても同じニンゲンなのに、なぜか?
ここで、成年後見制度の実務を改めてご説明します。
主たる業務は「本人の財産管理」と「身上の保護(監護)」の二本柱です。
たぶん世間一般的にわかりやすいのは、財産管理だと思います。
通帳やお財布を預かるわけですから、「何してるのか」という点においてたぶん理解されやすいです。
ただ、今回のお話で重要なのは、こちら・・・「身上の保護(監護)」です。
これは、業務の中では正直目に見えにくい、伝わりにくい部分になりがちなのですが、要するに本人の「法定代理人」として、本来は本人が自分で行う「意思決定」について、いろいろな角度から考えて本人にとっての最善を「代わりに決断」し、「代弁(主張)する」ことです。
もちろん、そこにはルールもありますけども(医療同意や本人の居所についてなどは、また追々・・・)
当たり前のことのように思われるかも知れません。
ただ、これを「本気で!」後見人等が行うと、たとえ夫婦でも、親子でも、日常の支援者でも、相対する立場にもなり得ます。
成年後見制度が、あくまで「本人」という「一個人」を擁護するためにあるからです。
つまり、基本的に、後見人等にとっての判断の主軸はあくまで「本人」であり、家族介護者等も含めた周囲の人や環境ではありません。
ドライなようで、楽になった
私はたまたま親族後見人です。
なので、そうは言っても家族としての感情が重なるからやりやすいんでしょ?とか、思われるかも知れません。
ただ、先程申しました、私の家族(要介護者)が成年後見制度を利用するようになり、家族介護者としても気が楽になったというのは、自分自身の中で、自分の感情とは別に、きちんと本人の意思や想いを深く考えるようになったこと。
後見人という立場上、これまでの家族というポジションではなく、あくまで「本人の法定代理人」であるという意識から、いい意味でドライ(冷静?)に考え、判断し、他の親族や周囲の人にも決断した意味を説明するようになったことにあります。
家族としての想いや感情はもちろん引き続きあります。
ただ、家族である自分と、法定代理人である自分を、きちんと自分の中でも区別した言動を意識するようになったことは介護者である自分にとって大きいです。
もちろん、・・・はじめはグダグダでしたよ(苦笑)
しかし、そこはもちろん監督してくださる裁判所の方々に鍛えられるわけです。
「はい、真紀さん、今この〇〇について判断しないといけないのは、どの立場からですか?」みたいな。
もちろん、このような言い方こそされませんが(笑)、本当に地味~に細やかに、されど冷静に、私が自分でこの思考にもっていけるように諭してくださいます。
もし、いくら家族とはいえ、介護者とはいえ、本人に代わって大事なことをあれこれ考えないといけない、決断しないといけない、以前の私のようにそれがむしろ重荷に感じながら介護のイライラがつのるような家族介護者さんは、ぜひ成年後見制度のご利用を検討されてはいかがでしょうか。
家族がいるのに・・・って思われるかも知れません。
しかし、誰かの代わりに重要な決断をすること、必死に考えた末に周囲の人からその決断をあれこれ意見される精神的負担などを考えたら、認知症などで判断能力に支障がある本人のための代理人を付けるというのも、冷静に本人のことを考え、いい意味で本人と距離を置く一つの手段にもなると私は思います。
介護者支援の視点で言えば、家族介護者の精神的負担が一つなくなります。
家族介護者にとって、要介護者である家族が何にしろ自分の付属品のようにくっついているのも、ときにしんどいものです。
さらに私の経験上のことをもう一つ申し上げると、要介護者をとりまく支援者の方々が介護者支援を考えるとき、この「家族介護者が本人に代わって大事なものごとを決断している精神的苦痛や重荷」は、あまり重要視されているのを見たことがありません。
おそらく、多くの場合、家族が自分ではいろいろわからなくなった本人に代わって、何某決めることは当たり前だという風潮があります。
しかし、本人に代わって、本人以外の人が重要な決断をするということは、想像以上に重いことです。
この部分に寄り添った支援をされる支援者さんは、スキルが高いなと思います。
そして、私は、自分自身が親族後見人になりましたが、もちろん他の第三者である専門職後見人に依頼することも可能です。
それこそ、専門職後見人は、ガッツリ!本人主体で意思決定支援をしてくれるはずです。
そうなると、おそらく多くの方が次に気にされるのが「お金」のことだと思います。
家族はいるけど、なんなら同居もしてるけど、認知症などの本人に専門職後見人が付いたその後・・・の、お金のことは?
次回は、ご質問を受けることも多い「成年後見制度と本人のお金」のお話をしたいと思います。