つなぐということ③

スタートは親族後見人

私は、社会福祉士という専門職後見人でありながら、実は、それよりももっと前から「親族後見人」をしています。

まあ、正直に言うと、家族介護と同じでこの親族の後見業務も、急遽、必要に迫られて諸手続きを行いました。

(何が差し迫っていたかというと、それはまたおいおい・・・)

「私」申立人で、「私」(受任の)候補者で、「私」書類作成・・・

ちょうど介護離職している頃・・・人や周囲を信じられない暗黒のころです(苦笑)

今のような仕事にも就いておりませんでしたし、社会福祉士会にも所属していなかったので、ほぼほぼ手探り状態で四苦八苦しながらの申立作業でした。

しかし、今となってみると、申立の事務作業よりもその後が大変で、最初の1,2年は、受任後の後見業務をそれこそ一つずつ家裁の書記官さんや知り合いの弁護士さんに教わりながら、必死に取り組んでいました。

親族が後見業務を行うむずかしさ

ベースにどのような職業や職歴、人生経験があるかは、もちろん人それぞれです。

ただ、親族の誰かが、親族の誰かの後見業務を行うということは、なかなか大変なことだと私は思います。

成年後見制度は、利用される本人の「権利擁護(権利を守る)」ためにあります。

主体となるのはあくまで「本人」です。

主体である「本人」または「本人の想いや考え」に寄り添うことが基本で、周囲にいる他の支援者とも、同じ支援者の一人のように見えて立場はかなり違います。

寄り添う・・・というよりも、ポジショニングとしては、本人に半分重なっているとイメージした方がいいかも知れません。

そして、親族であることと、後見人であることは、本人主体で判断をしなければいけない後見業務の中では、ハッキリ区別する必要があります。

しかし、人の想いや考えは時に複雑で、頭ではわかっていても自分でコントロールするのは難しいものです。

親族後見人には、親族(家族)だからこそ、本人に対して、後見人自身の価値観や想いを「無」にする難しさがあると思うのです。

本人の通帳やお財布を預かるとか、代わって手続きをしなきゃとか、家裁にあれこれ報告しないといけないとか、そういった実務の大変さだけではなく、気持ち的な部分で、親族としてのご自分と、後見人としてのご自分とをしっかりと区別する意識をお持ちでないと、いろいろな場面で制度本来の目的とぶつかることが出てくるかも知れません。

実質的な労力よりも、かなり精神的なやりづらさがあるのではないでしょうか。

我が国の「家」とか、「家族」とか、「血縁」とか、そういった文化的背景や受けてきた教育を考えると、特に。

親族後見人が言われがちなこと

現在、親族後見人よりも、専門職(弁護士、司法書士、社会福祉士など)が後見人等を受任する案件が増えてきています。

理由はいろいろ・・・

よく耳にする理由の一つに、親族後見人が預かっている本人のお金と、ご自分のお財布がごっちゃになって、預かっている本人のお金を使用してしまった・・・などがあります。

それゆえ、家裁からも、社会からも信頼を得難い・・・とか。

もちろん、いけないことです。

親族(家族)だから、そこらへんはなあなあでもいい・・・わけありません。

親族後見人と本人が同居している場合であっても、その点はかなりシビアにクリーンにしておく必要がありますし、業務を監督している家裁に対しても、きちんと説明がつく後見業務でなければいけません。

なにより、本人に対してよろしくありません。

私は、監督をしている家裁からこのような指摘を受けることは、内容が事実であれば致し方なく思います。

しかし、他の専門職後見人が、成年後見制度に関する何某のセミナーやら研修やらで、「親族後見人にありがちないけないこと!」みたいにわざわざご紹介されているのは、聞いていてあまりいい気持ちがしません。

自分自身も親族後見人をしているから・・・ではありません。

我々専門職後見人も、こんな不祥事がまったくないわけではないからです。

「不祥事0」「着服0」にしてから、他の所属の不祥事にはじめて発言できると私は思っています。

もしくは、少なくともしっかり!自分たちの(つい、ちょっと魔が差した?)仲間の不祥事も話題の中に付け加えるべきではないでしょうか。

何にしろ、親族だろうが、専門職だろうが、法に触れるような「人としていけないことは、いけない。」はずです。

誰だって、まずは「人」でしょ?

お互いに強みを活かして

不祥事は誰にとってもしてはいけないこと、悪いことなんですが、しかし、ちょっとだけ・・・親族後見人さんのフォローをさせてください。

「職務」やその「背負う責任」は、どの後見人でも変わりはないわけです。

市民後見人、然り・・・

法人後見、然り・・・

後見人は、後見人ですからね。

ただ、自分自身が経験して思うのは、実務や知識等に関しても、その心得みたいなものに関しても、他の後見人と親族後見人で圧倒的に違うのはやはりベースにある「教育」だと思います。

家裁の書記官さんにあれこれ指南を受けながら、言うなればまったくの素人さんが後見業務に取り組むわけです。

「あなたは親族だけども、『後見人』ですからね!」と念を押されながら。

もちろん、監督人が付いたりする場合もありますが、その親族一人で受任することも少なからずあります。

人としての良いこと、悪いことはもちろん誰しも一緒です。

ただ、私たち(後見業務を生業の一つとしている者)はどうでしょう?

何年もかけて学校でその各々専門性について教育を受け、国家試験の勉強をし、自己研鑚などと言いつつ、日々「権利」とか「本人主体」とか、「法律」だの「制度」だの、それ用のあれやこれやを叩き込まれていませんか?

親族後見人さんの多くは、あくまで一市民の素人さんが、ある日たまたま、だけど我々と同じレベルでその責務を負うわけです。

「本人主体」という捉え方がイマイチ難しくても、後見人というよりもやっぱり家族としての想いが込み上げてきても、少しばかりお財布や通帳の管理がごっちゃになっても・・・

その原因に何があるのか、あったのか、我々も一緒に立ち返りませんか?

ものごとには必ず理由と、それに至る背景があります。

「これだからダメ!」「我々専門職でなければ!」ではなくて、成年後見制度の中で親族後見人さんだからこその強みの活かし方を考えた方が、これからの担い手のためにも、制度の活用の推進のためにも、よりいいと思うのです。

そして、親族後見人には専門職後見人にない、圧倒的な「強み」があります。

「家族」・・・であるということです。

他人じゃないということは、「強み」にも必ずなります。

本人にとって近しい方ほど、本人へ想いを強く寄せている方ほど、それはうまく活用すれば本人のための「強み」になるはずです。

私は、今、親族以外の後見等の受任も行っていますが、たくさんいるクライエントさんの中で、絶対的に本人の想いや考え方に添う自信があるのは、親族の案件です。

それこそ病気が進行していてもう言葉を交わすこともできませんが、こういう場面ではこう言うだろうなとか、こう考えるだろうなとか、何を想っているか、感じているか、わかる自信がある。

本人の想いを「察する」ということが、ずっと一緒にいて、ずっと看てきた私だからできます。

・・・・・・・たぶん(笑)

ダメだと言ったり、切り捨てるのは簡単です。

でも、親族後見人も専門職後見人も、お互いに強みや協力し合えることはあると思います。

もし、親族後見人さんにとって差し支えなければ(笑)、もっとお互いをフォローし合える体制作りが出来たらいいな・・・

そんな活動も、これからやっていけたらなと思っています。

より良い方向へ、つないでいきたいです。