
身寄りがない?
成年後見制度を利用される方の「身寄り」についてお話します。
この「身寄り」という言葉に関して、
業務を行う中で、ときどき耳にする表現があります。
「身寄りがない」という表現です。
「身寄りがないから、成年後見制度を利用している。」とか、
「身寄りがないから、成年後見制度を利用しなきゃ。」とか。
言わんとされていることは、なんとなく理解はします。
ただ、私は、
ご本人の親族状況の表現としてはちょっと違和感を覚えます。
「身寄り」って、本当にないのでしょうか?
戸籍ってシステムはすごい!
日本には、「戸籍」というシステムがあります。
後見業務の中で、戸籍謄本とか、そういった書類を目にすることは多いです。
成年後見制度の申立においては
親や子、きょうだいなど親族を確認するためにも、これらも添えて申立を行います。
なので、受任をした後に、我々受任者もその写しを入手したり、
もしくは、業務の中で、何某必要に迫られて戸籍をとったりしますので、
結果、どこかのタイミングで目にすることになります。
つまり、ご親族の誰か、
ご健在でも、お亡くなりになっていても、
ご本人に繋がっている、もしくは繋がっていた親族はある程度わかるわけです。
探せばいる?・・・のが親族
我が国の「戸籍」というシステムは、
昔風でいえば「家制度」や「家族制度」を象徴するかのごとく、
人は誰かと、親族として繋がっていることを証明します。
その関係性が当人たちにとって、
本意だろうが、不本意だろうが・・・です。
なので、「身寄りがない」という状況は、
我々日本人にとって、事実上ないのではなかろうかと思うのが、私の個人的見解です。
ですから、そう考えると
そもそも誰にでも、本気で探せば「身寄り」になる親族の一人や二人どこかにいます。
なので、正確に言えば、「身寄りがない。」ではなくて、
「親しく付き合いのある親族はいない。」
または、
「頼りにできる親族はいない。」といったところではないでしょうか。
そもそも・・・
「身寄りがない」方のために成年後見制度があるとしたら、
世の中の親族後見(親族が親族の後見人等になること)は成立しないでしょう。
私はむしろ、
この親族後見を考えたときに、
成年後見制度が改めて「個人」のためにあることを感じます。
権利を守るために
成年後見制度を利用される理由。
それは、人として、生活者としての「権利を守る」ためです。
その方が、判断能力にお手伝いが必要な病気や障がいをお持ちで、
そのままお一人でいたら、権利を侵害される恐れがあるので、
その危険性からその人を守るためにあります。
そして、もう一つ大切なのは、
「意思決定(支援)」を、法定代理人が行うということです。
家族でも、介護等の支援者でもなく、
本人に代わって、本人と一緒に、法定代理人である後見人等が行います。
ですから、後見業務を行っている中で、
後見人等と他の支援者たちやご家族とで、ときどき対立した状況が生まれますが、
まさに!ここだな・・・と思うことが多いのが意思決定(支援)の場面です。
(後見人等の意思決定(支援)については、追々またどこかで・・・)